老犬に、首が傾いたりふらつきながら旋回したりという症状が突然現れた時、前庭疾患と診断されることが多いようです。
人の病気としては馴染みのない病名ですが、前庭疾患とはどんな病気なのでしょう?
その症状は他の病気、代表的なものでは脳腫瘍とも共通する部分があるようにも思いますが、違いはどこにあるのでしょうか?
今回は老犬の前庭疾患と脳腫瘍との違い、症状や療養上の注意点について解説したいと思います。
老犬に多い前庭疾患・実は耳の病気
前庭疾患をひとことで表現すれば、平衡感覚に異常が生じる疾患です。
ひどい車酔いや船酔いの症状と考えたらわかりやすいかもしれません。
激しいめまいが起こり、嘔吐も見られ、ふらついて歩けなくなります。
また、眼球を観察すると、眼振という、眼球が細かく左右に揺れる(水平眼振)症状が認められます。
そして、病状が重度になると、捻転斜頸と呼ばれる、首が片方に傾いてしまう特徴的な症状や、ぐるぐると旋回する症状が出現することもあります。
平衡感覚を司る器官は耳にある
人も犬も同様に、耳の奥の方の「内耳」という部位には、カタツムリのような形をした蝸牛、三半規管という器官があり、前庭とはこの部分のことを指し、前庭神経という神経が脳に繋がっています。
こちらの引用画像は人の耳の解剖図ですが、シンプルでわかりやすいと思います。
画像出典元 https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/vestibular_neuronitis/
体のバランスは、この神経と脳の間での信号のやりとりによって保たれています。
ところが、前庭に何らかの原因によって異常が生じた場合、脳との神経伝達がうまくいかなくなります。
そのために平衡感覚が障害される病気が前庭疾患です。
【参考記事】
前庭疾患には原因が明確な場合と原因不明の特発性がある
前庭疾患の原因は様々です。
腫瘍、内耳の炎症、外傷、薬物による影響など、直接内耳に原因が生じているものだけでなく、脳に原因がある場合もあります。
脳炎、脳梗塞、脳腫瘍など、脳の病気が原因になっていることもあれば、加齢による甲状腺機能低下などが原因になっていることもあります。
前庭疾患は原因によって末梢性と中枢性に分類されます。
- 中枢性:脳の外傷、脳梗塞、脳出血、肉芽腫性髄膜脳炎、脳腫瘍、感染症など
- 末梢性:内耳炎、末梢性髄膜脳炎、内耳腫瘍、アミノグリコシド系抗生剤など
中枢性の前庭疾患では、眼振は上下に揺れる「垂直眼振」になるのが特徴的です。
また、脳そのものに病変があるので、平衡感覚だけでなく他の脳神経症状も現れ、意識レベルの低下や行動変化なども起こります。
末梢性の前庭疾患は、平衡感覚の消失やそれによる転倒などはあっても、基本的に意識レベルは保たれます。
眼振は、横に揺れる「水平眼振」またはぐるぐるとその場で回転する「回転性眼振」になります。
そして、末梢性にも中枢性にも共通しているのは、平衡感覚喪失による運動失調、横転、斜頸、旋回などの症状であり、首が傾く方向や旋回の方向は病変がある方であるとされます。
病変側の不全麻痺やナックリング(足運びが悪く、足を引きずってつま先や甲を着くような歩き方)なども見られます。
姿勢の異常に加えて、嘔吐、流延(よだれ)の他、難聴が起こることもあります。
このような症状が現れる前庭疾患に明らかな原因が見当たらずに、原因不明に起こるものを「特発性前庭疾患」と呼び、老犬にもっとも多いのがこの特発性のものです。
「特発性」とは原因不明に起こる病気に付けられる病名で、他の病気、例えば、原因不明のてんかんなどにも「特発性てんかん」などというように用いられます。
前庭疾患は、突発的(突然)に発症することが多く、「突発性」と「特発性」が混同されているように感じるのですが、老犬の原因不明の前庭疾患は「特発性前庭疾患」で突発性とは違います。
【参考記事】
前庭疾患と脳腫瘍の似た症状 その違いの見極めが大事
明らかな原因がなく、原因不明で老犬に多く発症する特発性前庭疾患は、予後も比較的良好とも考えられます。
しかし、原因があるもの、特に脳腫瘍などの重大な病変が脳にあって起こる場合は楽観視できず、特発性との違いを見極めることが重要になります。
【参考記事】
脳腫瘍から起こる症状と特発性前庭疾患の症状は似ていながら微妙に違います。
その違いを見分けることが重要です。
特発性前庭疾患は耳の平衡感覚障害が症状であり、麻痺や意識レベルの低下、痙攣などを伴いません。
麻痺や意識レベルの低下や痙攣は、脳に異常がある時に出現する症状であり、脳に原因のない特発性前庭疾患の症状とは違います。
また、上記しているように、特発性前庭疾患の眼振は「水平眼振」であり、「垂直眼振」は脳腫瘍や脳炎など脳の病気による特徴的眼振で、そこにも違いがあります。
さらに、瞳孔の対光反射の消失や瞳孔不同(anisocoria)なども脳由来の症状で、脳梗塞や脳出血、脳腫瘍など、脳に病変があるということがこの症状でわかります。
確実な鑑別には画像診断
老犬の脳腫瘍は決して少なくない病気であり、何らかの神経症状が出ているとことは病気の進行を表していると考えられます。
脳の病気特有の神経症状で見当はつけられるとしても、確定診断には画像検査が必要です。
具体的には、脳腫瘍を始めとした脳の病変を確認する為にはMRIが必要です。
ちなみに、人の医療でもCTとMRIは併用されていることが多いですが、脳の疾患に関して言えば、脳出血はCT画像でもわかるが初期の脳梗塞はCT画像には表れないというような違いがあります。
ただ、CTは短時間で検査が可能ですので手軽であり、その違いを人の医療では使い分けるのです。
人の医療では画像検査は簡単にできる検査です。
しかし犬に対しては、画像検査を行うにも全身麻酔が必要で、それだけで体に負担になり、麻酔事故というリスクもあります。
そして画像検査で脳腫瘍が見つかったとしても、犬の脳腫瘍の手術は困難であり、治療の選択肢も限られています。
脳腫瘍などの重要な病気の可能性があると思われる場合、現実的には、検査のリスクと有用性を検討し、飼い主さんと共に方向を話し合うことになると思います。
前庭疾患は保存的治療が基本・ただし長期になる場合も
特発性前庭疾患の治療は、対症療法と安静が基本です。
吐き気止めや抗生物質、抗炎症作用のあるステロイド剤などの薬物を投与されることが多いようです。
ひどい乗り物酔いが続いているような状態なので、犬はかなりきついと思います。
食事も難しいような時には、栄養や水分を補給する為に点滴なども行われるでしょう。
原因が判明している前庭疾患では、当然ながら原疾患の治療を行うことが根本治療です。
原因不明の特発性前庭疾患では、治るまでに時間はかかりますが予後は悪くないことが多いようです。
急性発症し、大体4日くらいすれば回復傾向に向かい、運動機能も1ヶ月~くらいかけてゆっくりと元に戻っていくようです。
その為に、発症後4日ほど入院治療になることも多いようですが、急性期を越えると殆どは自宅療養になります。
ただ、日にちが経っても一向に回復せず、むしろ悪化していくようならば、やはり脳腫瘍などの深刻な病気が原因になっている可能性を考えなくてはいけません。
また、回復したとしても、特発性前庭疾患は再発も多い病気なので注意が必要です。
療養中の注意点
前庭疾患の症状はバランス失調ですので、転倒することでの骨折などに注意し、危険を回避できるようにしてあげましょう。
床なども滑り止め対策を強化してあげて下さい。
また、動きが悪くなる為、危険な場所に入り込んで出て来られなくなることなどに注意が必要です。
たとえ慣れた室内であっても、療養中は注意して観察していて下さい。
急に抱き上げたりすることも、犬が恐怖感を覚え、症状が悪化する危険がありますので、回復するまではそのような急激な動きをさせることのないよう注意し安静に過ごさせて下さい。
老犬では、前庭疾患で思うように動けない状態が長く続くことで全身の筋力が低下してしまいます。
病気が治癒しても、これをきっかけに動けなくなってしまうリスクも高いです。
急性期を過ぎて病状に改善の兆しが見えてきたら、リハビリが必要と思います。
リハビリと言っても特別なことをするのではなく、日常の中で飼い主さんが注意して補助しながら、安全に歩行や散歩ができるようにしてあげて下さい。
いきなり元通りというのは無理だと思いますが、少しずつ筋力を取り戻せるように気長に慣らしてあげて下さい。
まれに捻転斜頸が後遺症として残ることもあるそうです。
寝たきりにならないようにすることとの兼ね合いが難しいかもしれませんが、安静が基本ですので、治療の必要な間は無理をしないように注意し、専念できる環境にしてあげて下さい。
【参考記事】
まとめ
老犬に多い前庭疾患は、脳腫瘍などの原因があるものと原因不明のものがあり、多いのは、原因不明の「特発性前庭疾患」です。
脳腫瘍の症状と前庭疾患の症状は似ていますが違いがあります。
その違いは脳由来の症状があるかどうかということになります。
特発性前庭疾患の発症は突然であることも多く、治療は対症療法と安静が必要です。
きちんと対処することで、完治までには時間はかかるものの予後は良好とされますが、老犬ではこの病気をきっかけに寝たきりになってしまわないように注意しなければなりません。
そうならないために、療養にはリハビリも含めた工夫が必要です。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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