犬の安楽死についてのは賛否両論あります。
安楽死の理由は、もう助かる見込みがなく苦しみから楽にするためには違いないとしても、その判断も個人差があります。
私の愛犬はてんかんですが、薬でコントロールしながら病気とうまく共存して暮らしています。
一方、重度のてんかん発作を起こす愛犬の苦しみの思い安楽死を選んだ飼い主さんもいるようです。
何が正解と言えないとは思いますが、今回は犬の安楽死について考察してみます。
安楽死は苦痛からの解放の最終手段
はじめに人間においての安楽死の定義を確認してみたいと思います。
安楽死には、積極的安楽死と消極的安楽死の2通りがあります。
積極的安楽死とは、医療において本人の意思または事前の意思表示に基づいて、他人(医師)により薬物を直接用いて死に至らせる行為です。
もちろん、それを行うには前提条件があります。
それは次のようなものです。
- 本人の明確な意思表示
- 死に至るような回復不可能な病気や障害の終末期
- 心身の耐え難い重大な苦痛
- 死を回避する手段、苦痛の緩和方法のいずれも存在しない
もう一つの消極的安楽死とは、医療において、病気や障害を予防、または救命、生命を維持するための方法が可能であるが、本人の意思または事前の意思表示、または本人の意思表示が不可能な場合に最も近い家族の明確な意思に基づいて、治療を開始しない、あるいは治療の中止により、死に至らせる行為です。
積極的安楽死が法的に認められている国はいくつかあります。
しかし日本では、現時点(2019年)ではまだ法整備に至ってなく、積極的安楽死の行為は違法になります。
ただ、消極的安楽死は、治療中断を許されない一部の重大な感染症(感染拡大を招くため)を除いてのみ、明確な意思表示に基づくという条件下で合法とされています。
これはあくまでも人間の定義なのですが、本来の安楽死の意味を理解する参考にして下さい。
犬の安楽死はどのように行われているか?
犬の安楽死は、獣医師に依頼し、獣医師の手で行われる処置です。
ここから先はできるだけ淡々と書くつもりですが、それでも生々しい表現になります。
苦手な方はどうぞこの項目を読み飛ばして下さい。
まず、安楽死そのものを引き受けない方針の獣医師もいるようです。
安楽死を依頼する理由によっては適用できない場合もあるとは思いますが、獣医師の個人的感情の場合もあるようですので、確認が必要です。
安楽死という方針が決まれば、次に具体的なことを決めなくてはいけません。
安楽死の場所は、自宅に往診してもらえるのかそれとも病院なのかは獣医師によって対応が違うようです。
話し合う時間的余裕があるようなら、犬の見送り方について他にも細かく話し合い最良の方法を決めます。
場所・日程・立ち会う家族・誰かが犬を抱くのか寝かせるのかなど
事故などで重傷を負って治療の手立てがなく、苦痛からの解放のために緊急に安楽死の選択が迫られる場面などでは、細かく話し合うことが不可能ということもあります。
安楽死には、致死量の薬剤を静脈注射します。
薬剤の注入用に、獣医師があらかじめ犬の静脈にカテーテルを挿入してライン確保します。
安楽死の薬剤には、本来は静脈麻酔薬であるペントバルビタールという、バルビツール酸系鎮静催眠薬が選択されます。
この薬剤は、人の臨床の場でも使用される種類のものです。
過剰投与による致死性は最も高いと言われる強力な睡眠薬です。
獣医師が、犬の静脈に挿入したカテーテルラインからこの薬剤を迅速に注入します。
薬剤は速やかに作用し中枢神経や心筋の機能を抑制するので、犬はすぐに深い麻酔状態に入ります。
さらに注入しあえて過剰投与することにより、そのまま心停止します。
死後には、筋肉の収縮や弛緩が起こるので、足が動いたり息をしているように見えたりするかもしれません。
失禁があり、目も開いていることの方が多いようです。
安楽死の費用は、自由診療なのでその病院の規定や、犬の大きさ(必要な薬の量)、往診するかどうかなどによって異なりますが、約1万円前後が相場のようです。
ただし人間に安楽死の条件があるように、犬の安楽死も無条件ではありません。
病気や障害でその犬がこのまま生き続けることは苦痛でしかなく、それを解決できる治療法や手段が他にない場合に行われる最終手段です。
飼い主が安楽死を依頼し費用を払ったからと言って、安楽死には該当しないような問題のない健康な犬を死なせることは、通常、獣医師が引き受けることはありません。
100歩譲って安楽死の理由にぎりぎり妥協できたとしても、明らかに飼い主側の都合と思われた場合は費用を高く設定するという獣医師もいるようです。
飼い主が愛犬の安楽死を決心する時
ネット上には、自分の愛犬を安楽死させた経験のある飼い主さんの書き込みも多数見つけることができます。
現在安楽死を検討していて、踏み切れずに葛藤しているという内容のものもあります。
安楽死の選択は飼い主さんが自ら考えた以外に、獣医師側からの提案の場合もあるようです。
《安楽死選択の理由》
- 癌で余命宣告をされていて、今後、激しい痛みで食事もできなくなることが予測される。その時には安楽死という選択もあると獣医師に提案された。
- てんかん発作がひどく、てんかん発作の症状で夜中でも大きな声で鳴くので近隣に神経を使い、また寝不足で疲れ、イライラして精神的にも身体的にも限界になり安楽死を考えている。
- てんかん発作で痙攣している犬の姿を見ていられない。これ以上苦しませたくなく安楽死させた。
- てんかん発作の間隔がどんどん短くなり、発作がひどくなる一方で介護しきれずに病院に預けていたが、獣医師から提案されて安楽死を決めた。
- 腎臓が悪くもう助からない状態で獣医師から安楽死を提案され決めた。
- 闘病中に寝たきりになり、この先延命もできないという状態で安楽死を決めた。
- てんかん発作がひどく、薬で眠らせておくしかもう楽にする方法がない。発作で苦しそうな姿が辛く、安楽死させる覚悟を決めた。
- 獣医師に安楽死のことを相談するのは非難されるのが恐く言い出せないでいるが、てんかん発作に対応しきれず安楽死させたい。時々病院で預かってもらえるなどのフォローがあればまだやっていけるかもしれないが、苛立って犬に八つ当たりをしていまう。
- てんかん発作がひどい犬の世話に疲れ、獣医師から安楽死を提案された。最終手段もあると考えると逆にもう少し頑張れる気になった。
- 病気で余命宣告されても安楽死を選択できなかったが犬はとても苦しんで亡くなった。安楽死できなかった自分は、決断から逃げた卑怯者だと後悔している。
- 獣医師に安楽死のことを相談するのは非難されるのが恐く言い出せないでいるが、てんかん発作に対応しきれず安楽死させたい。時々病院で預かってもらえるなどのフォローがあればまだやっていけるかもしれないが、苛立って犬に八つ当たりをしていまう。
- てんかん発作がひどい犬の世話に疲れ、獣医師から安楽死を提案された。最終手段もあると考えると逆にもう少し頑張れる気になった。
- 病気で余命宣告されても安楽死を選択できなかったが犬はとても苦しんで亡くなった。安楽死できなかった自分は、決断から逃げた卑怯者だと後悔している。
安楽死をさせてもさせなくても、飼い主さんはそれぞれ葛藤しています。
愛おしい存在であるからこそ、何が最良であるのかを必死で考えた時間があったことは間違いないと思います。
しかし、これは一部と思いたいですが、ただ犬種に飽きたから他の犬種に買い替えるというあり得ないような理由で、何の問題もない健康な犬を「安楽死させて欲しい」と希望する飼い主もいるのは事実です。
それも会ったこともない獣医師に悪びれることもなく、そんな相談をしてくるというひどい話です。
また世間には、安楽死は病院ではなく保健所がするものと勘違いをして、病気や高齢の犬を保健所に簡単に持ち込んで安楽死を希望する人も多く存在します。
飼い主による保健所持ち込みの犬の基本的な処遇は殺処分で、飼い主が死なせてくれと連れてくればその犬は殺処分になります。
同じ時間を共有し、家族として暮らしてきた愛犬の最後が、信頼していた人に連れられて保健所で殺処分というのは、あまりにも哀れすぎます。
安楽死を語ることと殺処分に持ち込む飼い主は別のカテゴリーと考えるべきでしょう。
てんかんは犬の死因になるのか?
犬のてんかんは、その発作のほとんどが命に関わるわけではないと言われますが、群発発作や重責発作という危険な発作は死因になることがあります。
【参考記事】
てんかんは、発作を繰り返すことによって脳がダメージを受け、それが度重なることは発作が重症化する原因になるとされます。
てんかんの治療はいかに発作を起こさないか、または起こしたとしても最小限の発作に抑えられるかが課題で、それを薬でうまくコントロールすることに尽きます。
てんかんの薬を使用している途中で、もう改善したからと勝手に中断したり、内服が不規則になっていたりすることは、てんかん離脱発作を起こす原因になります。
それは命に関わる発作に繋がるのでとても危険なことです。
【てんかん治療中の離脱発作について】
群発発作や重責発作のような激しいてんかん発作は、体温の急激な上昇を伴って重度の熱中症を引き起こします。
そのことが全身状態を悪化させる要因になります。
また、てんかんは病名であると同時に一つの症状を表す名称でもあります。
てんかんの陰には脳炎や脳腫瘍という難病が隠れていることもあり、それを知る為には画像診断が必要です。
しかし中にはMRIやCT検査まで至らないまま、てんかんとして治療しているケースもあると思われます。
そのような病気の多くは進行性で、てんかんの治療だけでは症状を抑制することができず、病気の進行と共にひどいてんかん発作や神経症状を表すようになって死の転帰をたどります。
てんかん発作が抑制できず、重度の発作に進行していく理由としてこのような病気の可能性もあるのです。
【てんかんと脳の疾患】
犬のてんかんは安楽死の対象か?
犬の安楽死を考えた、または決定した理由の中には、ひどいてんかん発作があったというものも入っているようです。
実際に重度のてんかん発作は安楽死の対象になることも多いようです。
てんかん発作を起こしている犬を目の前にして、飼い主にできることはほとんどありません。
安全確保をする以外、ただ発作が治まるのを見守るしかないという無力感この上ない時間です。
重度のてんかん発作なら早く医療機関に搬送し適切な処置をすべきですが、それが不可能な時もあると思います。
涎を垂らして痙攣し、失禁し時には泣き叫ぶ、あまりに辛く可哀想な愛犬の姿を前にして何もできず、このまま死んでしまうのではないかという大きな不安で押しつぶされそうになります。
コントロールのきかない発作を頻繁に起こすようになると、犬も体力を使い果たして弱ります。
また、視力を失ったり麻痺が残ったり、飼い主を認識できなくなるなど、脳にひどいダメージが残ることもあります。
このようにして抑制のきかない発作が頻繁に襲ってくるような時、獣医師からの提案か飼い主自らで安楽死という選択肢に行き着くことがあるようです。
そこにはこの苦痛から犬を解放して楽にしてやりたいという思いがあるのです。
てんかんという病気だけでは、安楽死の対象ではありません。
てんかんそのものは決して珍しい病気ではないのです。
完治はできなくとも、治療方法はあり実際に発作のコントロールが良好で長寿の犬も多くいます。
それも決して難しい治療ではなく、ただ内服をきちんとすることで十分に良い状態を保って生きていける病気です。
発作がなければ病気のない犬と同じように生活の質を維持でき、絶望的な病気ではないです。
安楽死に対する意識は日本と海外で大きく違う
安楽死に対しての考え方は、日本と海外ではずいぶん違いがあると思われます。
それまで愛情を注いで家族同様に暮らして来た犬であっても、もう回復の見込みがないと獣医師に判断された時点で、欧米では安楽死も一つの選択肢です。
もちろん価値観や考え方は個人で違うものですから、全てを一括りにはできません。
しかし欧米では日本のように、末期状態の犬を最後まで介護するということの方が圧倒的に少ないようです。
安楽死が選択される根底には、苦痛を動物に背負わせながら生かすことは、動物にとって無意味なことであるという考え方があるからです。
犬(動物)は、不必要な苦しみの中から人間のように、それでも生きるということの意味や精神的な学びなどを見出すわけではなく、ただ単純に苦痛は苦痛でしかない。
もし自然のままに安らかにと言うのなら、本当の自然界ではそのように衰弱した状態では生き延びることはできず淘汰されるはずであり、苦痛が長く続くことはない。
人間が介入するからこそ苦痛は続き、人間が自然ととらえることは苦しみの継続とも言える。
全く無用な苦しみを長く与え続けて生かすのは飼い主の満足に過ぎず、苦痛から早く解放し見送ることが本当の意味での救いであり、飼い主の責任と愛情でもある。
欧米ではこのような考え方が根付いているのか、それは決して冷酷とか薄情というわけではなく、宗教や死生観の違いとでも言う方がふさわしいかもしれません。
日本人の場合は、安楽死の選択は、飼い主が愛犬の命を奪うという重みに葛藤するケースの方が多いように感じます。
犬はどんな状態でも常に前向きで生きようとする生き物であり、自分の意思で死にたいと思うことはないという考え方は確かに間違いではないし、人間の安楽死には全て本人の意思が優先されます。
それを飼い主の決定で死なせるなんて、単に人間が苦しみから目を背けたいというエゴではないか?という考え方の方が日本では強く、それも一理あると言えるかもしれません。
そして、苦しみを知りつつ安楽死させないこともまた、少しでも長く傍に置いておきたいという人間のエゴではないのか?というのも、やはり一理あると言えると思います。
安楽死の選択は飼い主にしかできない
意思表示ができない動物の安楽死は、殺すということにすぎないという否定的な意見は多いようです。
それに対し、苦痛を継続させながら延命を強要することは、極端に言えば虐待であるという意見もあって、この議論は尽きないのです。
おそらく何を選択しても、飼い主が愛犬を失う哀しみも無念さも変わらないと思います。
「もっとできることがあったのではないか」「この判断で良かったのか」とやはり後悔する時はあるかもしれません。
そこに飼い主と犬との絆がある限り、どの思いも、どの決定も正しく、そして葛藤の一つ一つが尊重されるべきものであり、これが正解という答は永遠にないのではないでしょうか。
愛犬の死を考えただけで辛い、苦しませたくない、死なせたくない、一分一秒でも長く一緒にいたい、助けたい、楽にしてやりたい・・・矛盾した思いのどれもが本物であり、それらは安楽死の前で交錯するでしょう。
そして最終的に安楽死という結論に至っても、愛犬へのあふれる思いの中で飼い主が選択したのならば、第3者が入り込む余地はなくそれが全てだと思います。
安楽死に対する考えは、とても個人的なものであると思います。
私は、自分自身には延命より安楽死を選びたいし意思表示できるならそうしたいです。
しかし自分の大切な存在の安楽死の決断はできないかもしれません。
私には勇気がないかもしれません。
てんかん発作を見るに堪えず、苦痛から解放してやりたいと思う飼い主さんの気持ちも他人事ではなく、とてもよくわかります。
ただ、同じ病気を持つ犬の飼い主として、てんかんの犬の安楽死が多いということにはやはり胸が痛みます。
最後に
安楽死が目的ではなくとも、苦痛の緩和の為の薬剤を増やしていけば、結果的に死期を早めることもあります。
それも消極的安楽死と言えるでしょう。
どのような選択をするとしても、その命に対し最後まで信頼できる飼い主として誠実に向き合い責任を引き受けることが愛情だと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
コメント