あなたは生まれ変わりを信じますか?
特に宗教を持たない日本人でも、何となく生まれ変わりを信じる人は多い気がします。
もしすべての命に生まれ変わりがあるなら、空に旅立ってしまった愛犬ともいつか再会できる日が来るかもしれない。
愛犬を亡くした、哀しみの中にいる飼い主さん、そして私の友人にも読んでもらいたくて、今回はスピリチュアルなテーマに触れてみたいと思います。
興味のある方はどうぞお付き合い下さいね。
犬の生まれ変わりをテーマにした映画
過去に犬の生まれ変わりをテーマにした映画が公開されましたが、ご存じでしょうか?
「僕のワンダフル・ライフ」という映画で、2017年のものなのでそんなに昔の映画ではありません。
この映画は、犬目線で描かれたストーリーになっています。
イーサンという少年に命を救われた子犬「ベイリー」。
その後はイーサンと共に暮らし、大人になってやがてその命は尽きます。
だけどベイリーはまたイーサンに会いたくて、3回も生まれ変わってイーサンを探すという内容の映画です。
この映画の監督ラッセ・ハルストレム氏は他にも、
- 犬と暮らす少年が主人公の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」
- 日本の忠犬ハチ公をモデルにした「HACHI 約束の犬」
といった映画を撮っています。
世間では、愛犬家な監督として有名なようです。
「僕のワンダフル・ライフ」は、W・ブルース・キャメロンという作家が書いたベストセラーで、愛犬を亡くした恋人の為の小説が原作になっています。
飼い主達の愛犬に対する想いや希望が映画になったと言えるかもしれません。
再会を夢見て何度も生まれ変わり、飼い主を探す健気な犬の姿に自分の愛犬の姿を重ねた人も多かったのではないかと思います。
犬の生まれ変わりは仏教でどう語られるのか?
人が亡くなった時、法要では49日という区切りがもうけられています。
仏教では、49日までは故人の魂もまだあの世とこの世をさまよいながら過ごしていると考えられているのです。
そして49日で故人の魂はこの世から、あの世で定められた場所へ旅立つとされています。
それが、この世に残された家族や故人にゆかりのある人々も、未練を断ち切って日常を取り戻すための1つの区切りでもあるのです。
魂は、輪廻転生(生まれ変わり)を繰り返し、徳を積んで、最終的には浄土を目指します。
浄土は、もう悩みも苦しみもない完全なる世界です。
私は仏教に詳しいわけではないので、こんな説明しかできなくてすみません。
では、犬はどうなのでしょうか?
仏教の世界では、動物も人間と同じように生まれ変わりがあるとされています。
ただ、生まれ変わり説は様々で、
- 犬は犬に生まれ変わるとは限らない説
- 犬は犬に生まれ変わる説
- 犬はそのまま転生することなく成仏できる説
と、諸説あります。
宗派によって違いはあるし、そもそも犬は「畜生」という、魂が低い位置付けであったりもします。
仏教的には、生前の行為の善悪で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という、生まれ変わりを繰り返す六道輪廻という区分があるのです。
しかし最近は、犬も人間の家族であるという認識が広まってきて、仏教的にも、人間とは切り離せない関係の犬に対する考え方が変わってくる可能性はあります。
愛犬の生まれ変わりは飼い主の願い
生まれ変わり=輪廻転生は、仏教だけの考え方ではありません。
スピリチュアルの世界では、犬は人間に比べ、生まれ変わりのサイクルが早いと言われます。
犬には人間のように複雑な思考や感情はなく、その魂が持つ目的は人を癒すことだそうです。
犬は、まるで赤ちゃんのように永遠に純粋な存在であり、嘘をついて私達を陥れたり、妬んだり、恨んだりするような感情は持っていません。
犬は、私達を裏切ることなどなく、無条件に私達を愛してくれます。
私達の心は、犬の純粋さに触れることで溶けていくように癒されます。
もしあなたと愛犬が一緒に過ごした時間が愛に溢れるものだったならば、その犬の魂はあなたを幸せにするという使命を十分に果たしていると言えるのです。
そして愛に溢れた魂は満たされ、早く成仏できるそうです。
その魂は生まれ変わり、再びあなたに会いに来るかもしれません。
アメリカ在住のあるスピリチュアル・カウンセラーによれば、犬は自分が愛された家族の元に再びやって来るのだとか。
その時には、同じ姿とは限らず、猫かもしれないしハムスターかもしれない、あるいは徳を積み重ねて人への生まれ変わりもまれにあると言われています。
愛犬と共有している貴重な今を大事にしたい
私が子供の頃を過ごした生家には、私が保健所からもらってきた犬がいました。
当時、保健所が何をしているかなど知ることはなかったですが、おそらく今よりもっと簡単に収容犬を見ることももらうこともできたと思います。
そして私も軽い気持ちで子犬を一匹選んだと記憶しています。
しかし、私の家では当時、昔ながらの犬の飼い方だったので、犬は屋根付きの土間で暮らし、飼育環境はよくありませんでした。
おまけに、子供だった私は、自分が犬を欲しくてもらったにも関わらず世話はほぼ親任せでした。
その犬は従順で性格の優しい、おとなしくてとてもいい子でした。
それから何年も経ち、私は家を出て暮らすようになりました。
ある日家に帰ると、母が神妙な顏で「犬が今朝、冷たくなっていた」と私に告げました。
いつも変わらずそこにいた犬が亡くなったということが、全くピンと来ませんでした。
にわかに信じられず、そして急に喪失感と後悔がこみ上げ、私は泣きました。
自分はろくに世話もせず、それほど構いもしなかったのに。
犬はいつしか年を取り老犬になっても、私を見るといつまでも子犬のようにはしゃぎ、私にとても懐いてくれていました。
その犬を想う時、今も心が痛むのです。
今、私の元にいる愛犬に、私はいつもその犬を重ねて見ています。
「この子はあの子かもしれない。」そう感じるのです。
だからこそあの子にできなかった分まで、今度こそ私の手で愛犬を幸せにしなければいけない。
この世で過ごす時間は、時間の観念のないあの世から見れば、全て一瞬のことだと聞きます。
私達はその一瞬を生きています。
その一瞬の中で愛犬と共有する今があるのです。
私達は見えない縁で繋がり、引き寄せられていると思っています。
もしあなたが愛犬を亡くした哀しみの中にいるのでしたら、「再会」を信じてみませんか?
あなたが心から愛したあの子は、きっとまたあなたの傍に現れると。
いつかはわからないけれど。
あなたを探してきっと生まれ変わって来てくれると、信じてみてはいかがでしょうか。
まとめ
出会ったきっかけが何であっても、犬はあなたに会う為に生まれ、あなたの元にやって来ました。
ペットショップの子も保健所にいた子も。
購入された子も殺処分寸前だった子も。
どの犬も幸せになるために生まれ、そしてあなたを幸せにするために傍にいます。
そんな健気なあなたの犬をどうか溢れるほど愛してあげて下さい。
一緒に過ごす一瞬を大切にして下さい。
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